町医者の生態をゆるくつづったブログ

人は皆、何かに依存しなければ生きていけないのではないかと、
以前より漠然と考えていましたが、この記事を読んで、わが意を得たりという感じです。
 
 依存する対象が、非合法であったり、他人に迷惑をかけたり、とんでもなく不健康な場合を除いて、「愚かなことに依存する権利・自由」はあってもいいのではないでしょうか?
 
   以下部分引用(日経メディカル電子版;2019.2. 尾藤誠司先生(東京医療センター

 アルコール依存のある方が患者として私の前に現れるとき、多くの場合は意識障害だったり吐血だったり脱水症状だったりと様々な表現型で出会うことになります。そして私も含めて医療者は、そのような状況に出くわした時少なからず陰性感情が立ち上がります。すなわち「アルコールにおぼれたあげくにこの人はこんなひどいことになっている」とか「お酒の力がないと生きていけない弱い人だ」というようなイメージを持ってしまいがちだということです。私自身、実際の現場においてその感情が多少なりとも沸き上がることを否定できません。しかし、何かに依存して生きるということはそれほどいけないことなのでしょうか?

何にも依存せずに生きている人はいるのだろうか?

私には「○○○がなくちゃ生きていけない」と明確に言えるような対象がいくつもあります。まず、ロックミュージックがないと生きていけません(本当です)。家族がいないときっと生きていけません。ワインとコーヒーがなかったら生きる意味を失いそうです。そして、毎日一緒に働いている同僚や研修医たちがいなかったら仕事人としてもあっという間に破たんしてしまいます。その意味で、私は全く自立した存在ではありません。いろいろなものや人や社会や、あるいは概念のようなものに依存しながら毎日を過ごしています。

 毎日の習慣の中に、ある特定の行動がビルトインされている人たちはいっぱいいます。よく「活字中毒」とかを自称している人がいますが、本当に毎日小説読んでる人って結構いるようです(私も毎日マンガ読んでます)。毎朝10km走っている人たちも結構います。しかしながら、この人たちを「小説依存症」「ラン依存症」とは社会は認識していません。そして、そのような状態が由々しき状態であるとも考えられていません。ただ、私の認識では、たぶん毎日小説を読んだり毎日走ったりしている人たちも、私と同じように「○○○がなくちゃ生きていけない」状態にあるのだと思います。しかし、それはたぶん人間としては実に健康的な状態です。  

 例えば、「宗教」は英語では「Religion」とつづります。このつづりは、「頼る」という意味を持つ「Rely」にとてもよく似ています。また、もともとラテン語から派生した「再びつながる」という意味を持っているそうです。ある特定の宗教とともに生活を送っている人たちは、程度の差はあれどポジティブな意識で「宗教がなくちゃ生きていけない」という考え方を持っているのだと思います。ロックミュージックや家族、ワインやコーヒー、同僚や研修医がいなくちゃ生きていけないという依存しまくりな私からすると、「○○○がなくちゃ生きていけないという対象が全くない」とおっしゃる方がいたとしたら、その方の人生の楽しみはなんなのだろうかと気になってしまうくらいです。だから私は、何かに依存しながら生きることは決して悪いことではないという考えを持っています。

依存“症”であることとは?

 「読書依存症」や「ラン依存症」という言葉は聞いたことがないですが、「スマホ依存症」や「ニコチン依存症」という言葉はしばしば耳にします。どちらもある対象に対する依存状態を指している気がするのですが、何が「症」かそうでないのかを分かつ基準なのでしょうか? ぜんぜん勉強してなくって恐縮ですが、「依存症」という病気を、どのような状況をもって「症」とするのかについて私なりの考えを述べたいと思います。

 第一には、個人が感じている「○○○がなくちゃ生きていけない」という状況が、ある特定のものごとに集中していること。第二には、何かへ依存していることによって、その当事者自身の生活、あるいは当事者を取り巻く社会に何らかの不具合が生じていること。第三に、その生活上の不具合に対して当事者が多少なりとも困っていること、そして第四に、医療やその他の支援が当事者に介入することで、その依存状況に変化を与えることができそうであること──。この4条件がそろったときに「○○○がなくちゃ生きていけない」という状態は「依存症」として認識されるのだと思います。そして、私は「依存症」の特性が持つ最も重要な要件は第二のポイントだと思っています。

 人は何か他のものごとに依存しなければ生きることは困難なのですが、ほとんどの人々はその依存先を様々なものに分散させており、特定の依存対象にどっぷり溺れないようバランスをとって生活しているのではないでしょうか。東大の研究者で小児科医、さらに脳性麻痺当事者でもある熊谷晋一郎氏は「自立とは、依存先を増やすこと」と言っています。つまり「やってられないなあ!」とか弱音を吐きながら、友達やネコやたばこなどに頼りつつ生きていければ良いのですが、いろいろなモノや人に適度に依存することを許されない状況に追い込まれてしまうと、逃げ場がなくなってしまい、その結果として特定の対象とべったりした関係を築き上げてしまうしかなくなってしまうのではないでしょうか? それは極めて逆説的な悲劇です。

 本当は、「何かに依存しながら生きている毎日」と「依存症」との間に明確な線引きなど存在しないのかもしれません。しかし、一度「依存症」というラベルを貼られてしまうと、その人は「特別に弱い人」「かわいそうな人」「外側からの管理が必要な人」と社会(特に医療社会)から見なされてしまいます。そして、その中で最もつらいことのひとつは「○○○がやめられない」とだれかに弱音を吐くことが許されなくなることなのかもしれません。

 国立精神神経センターの松本俊彦氏は著書「薬物依存症」(ちくま新書)の中で「『薬がやめられない』と安心して言える環境と社会があることが大切」と主張されていて、この考えに私はとても感銘を受けました。「自立していなければ許されない」というような社会環境こそが、特定の物質や習慣に対する深刻な依存状況に個人を追い込んでいく気がしています。依存症の治療はガッチリとした管理を一般的にはイメージさせますが、むしろ深刻な依存状況に困っている人に対して大切なのは、「許されていること」なのだと私は思います。

「許されている」環境と社会を目指したい

 最後に、一般的には「依存症」とは認識されてはいない状態ですが、個人的にはまさに「許さない」社会が生み出した、なかなか厄介な依存が現在社会には二つ存在していると私は考えています。

 ひとつは「仕事への依存」です。「仕事依存症(ワーカホリック)」という言葉は普通に用いられている言葉ですが、ほとんどの場合他者からの支援の対象になりません。なぜなら、依存状態にある自分自身が困っておらず、さらに表面的には仕事にコミットし続けることによって会社の利益にもなるからです。ですから「その仕事へのあなたの過剰な依存状態はなんとかしたほうがいい」ということには通常なりません。

 もうひとつは「正義への依存」です。「正義依存症」という言葉があるのかどうか試しにグーグルで調べてみたら、作家の橘玲さんがこの言葉を使っていました。ちょっと分かりにくい概念ですが、簡単に言うと正義感や倫理規範や法律などの規範に自らを寄り添わせ、その規範から外れる「正しくない人」を責め立てることで自分の存在意義を確認し続けるというような行動、と私はイメージしています。有名人とか大臣とかが浮気したり失言したりするたびに「けしからん!」という反応を繰り返している人と言えばわかりやすいでしょうか?この「正義依存症」という病気(私は病気だと思っています)は、ネットニュースやSNSの普及の副産物として社会にもたらされたようです。

 そしてこの二つの「依存症」に対して、なんらかの支援がなされるべきなのではないかと思っています。なぜなら、これらは当事者というよりは当事者の周りにいる個人や社会を傷つけるからです。例えば、仕事への依存が過度な状態にある人は、自分のように仕事に熱心に打ち込んでいない人を「真面目にやっていない」と攻め立てるような行動に出ることが少なくないと私は考えています。私は、昭和の時代、日本の企業(ひょっとしたら日本全体)を奮い立たせていたのはこの「集団仕事依存症」の状態だったという仮説を持っていますが、今は家族や趣味や友人にうまく依存先を分散させて人生を楽しんでいる人たちが増えてきました。その人たちにとっては、仕事にどっぷり依存しないことで責め立てられるのは飛んだとばっちりです。なんというか、受動喫煙に近いものがあるかもしれません。

 さらに、「正義依存症」については、そもそも他者攻撃が依存習慣の実質そのものですので、仕事依存症よりも周囲に与えるネガティブな影響は大きいと思います。毎日のようにネットを通じて浴びせられるだれか「けしからん人間」への罵倒は、どんどん私たちが暮らす社会を窮屈にしていっています。これらについても、定時に帰る人を攻め立ててしまう個人や失言をした誰かを懲らしめようとしてしまう個人に責任をかぶせてしまうと、それはそれで「許されない」状況をさらに生んでしまうような気がしています。

 逆説的ではありますが、深刻な依存症になってしまう人たちを少なくしていくために必要な処方は、他人や何かに適度に頼りながら、たまに弱音を吐きながら生きていくこと、そして、それが許されている環境なのだと思います。いち臨床医には「社会的処方」のようなことはなかなかできませんが、まずは自分の半径10m程度が「許される」環境であるといいなあと思います

小学校の健康診断

 大阪市立聖和小学校の 定期健康診断 に行ってきました。

5月28日と29日の2日間、3コマ(2学年づつ) 合計519名の

健康診断を行いました。大変でした。疲れました。

 コロナ前は、水いぼ(軟属腫)やとびひ伝染性膿痂疹)などの

接触による皮膚感染症が多くありましたが、ここ数年間は6学年で数名しかなく

こどもたちの遊び方、他の子に対する接し方が変わってきていると実感します。

小学校では 取っ組み合いのけんかやくすぐりっこなどが当たり前だったのは

今は昔です。 この子たちが大きくなったらどう他人との接し方が変わるのか

あまり想像ができないでいます。

開院20周年を迎えました。

 新型コロナ感染症の影響で、止まっていた学校・経済活動が動き始めた6月1日。実は喜多岡医院は20周年を迎えることとなりました。

これもひとえに地域のかかりつけとして通院していただいたたくさんの患者さまのおかげだと大変喜んでいます。

20年前、西暦2000年は平成12年で、シドニーオリンピックが開催され、イチロー選手がシアトルマリナーズと日本人野手として、

はじめてアメリカ大リーグの契約選手となった年です。20世紀最後のミレニアムイヤーでもあり、日本では介護保険制度が始まった年でもあります。

20年間当院でもいろいろな辛いこと、苦しいこと、うれしいことがたくさんありました。無事20年を迎えられたことは大変感慨深く思っております。

 ささやかではありますが、6月中に通院された患者様に記念品を差し上げたいと思います。手づくりのカードケースです。診察券や定期券、クレジットカードなどが

5枚程度入る素敵な革小物ですので、日常的にお使いいただくべく、どうぞよろしくご査収いただきますようお願いします。

 

*当院の変遷についてすこし思い起こしてみます。

 

 2000年(H12)6月1日 開院、初日の患者さんの数は午前午後あわせて22名だったと記憶しています。油谷内科小児科からの引継ぎと、勤務していたPL病院外科からの患者さんが多く来ていただきました。当時は、抗がん剤の点滴注射や肝臓動脈カテーテルを経由した動脈注射などの専門的がん治療も行っていました。

 しかし、抗がん剤治療の進歩や一般診療所での治療限界などから徐々に撤退し、それに代わって在宅医療と内視鏡治療(大腸ポリープ・早期がん治療)に傾斜していきました。

平成18年(2006)年頃までは、大腸内視鏡検査と内視鏡治療に力を入れ多くのポリープ摘除や早期大腸がん治療に力を入れていました。次第に近隣に内視鏡専門医の開業が増えてきたため、治療内視鏡はそちらに依頼することが多くなり、現在は食道・胃の上部内視鏡検査のみを行っています。

 介護保険制度もスタートしたばかりだったので、在宅訪問診療や施設介護(グループホーム)などの訪問医も行い、多いときは月に約30件の訪問診療をしていた頃もあります。これも次第に近隣に在宅専門医の開設が増えてきたため、役割分担し現在はごく数件のみに限定して継続しております。

この影響か、天王寺区より2002(H14)~2012(H22)まで、介護保険認定審査員を依頼され、特に平成17~の4年間は区審査委員長をさせていただきました。

平成16年には、組織改革として医療法人化し、スタッフの厚生年金など社会保険や雇用条件の改善を図り、近代的経営をすすめてきました。

また、平成18年からは、天王寺区医師会理事・役員として、介護保険・高齢者医療・地域医療などのお世話係をさせていただき、今年5月には副会長を拝命いたしました。

平成19年からは、大阪市より市立聖和小学校内科校医を委嘱され、現在に至るまで続けさせていただいています。定期健康診断やインフルエンザの学級閉鎖措置、学校保健委員会やアレルギー・アナフィラキシー研修での毎年の講演・実習指導なども行っています。

平成24年からは、一般企業産業医として、2か所の製造業(従業員130名・80名)の顧問産業医をさせていただいています。職場巡視を通して、危険業務の改善点の指摘や、ストレスチェックや個人面談を通して、企業社員のメンタルヘルスケアに努めています。

 このように、地域のかかりつけ医の機能だけでなく、学校保健・産業保健・医師会活動を通しての行政との連携など、さまざまな役割を果たしてまいりました。

ソニーメットライフ・マスミューチュアル(現在ニッセイ・ウェルス)生命保険の診査医もさせていただいております。

 20年はとても長かったようでいて、逆にあっという間の出来事でした。これからも30年・40年と地域に愛されるクリニックをスタッフともども創ってまいりますので、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。 

喘息とCOPDについて

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 医師会と天王寺にある3つの病院;大阪赤十字病院・大阪警察病院・第2大阪警察病院(旧NTT西日本病院)の合同講演会が開催されました。第8回となる今回のテーマは、

「長引く咳」についてでした。主に喘息とCOPDがとりあげられ、かかりつけ医と病院の呼吸器内科専門医との連携をはかることができました。

 これから、気温が下がり、空気が乾燥してくるといろいろな原因でせきが出る患者さんが増えますが、今回の講演会・討論会でとても実臨床に沿った、理解しやすい疾患整理ができました。

 一般の方に知っていただきたいのは、喘息治療のおいての吸入ステロイド薬の重要性です。過去に副作用が過大に強調されることによって使用がためらわれたり、不充分な使用しかしてこなかったりすることで、喘息死が大変問題となっていました。現在でも吸入薬に対する偏見は完全には払しょくされておらず、全国では毎年1000人以上の方が命を亡くしています。十分な量の吸入ステロイド薬を使用することが最も重要であり、副作用も大変限られたものに限定されることを知っていただきたいです。

 また、COPDに関しては「それっていったい何の病気?」と言われる方が多く、長期間の喫煙を基礎とする、閉そく性の肺の病気であるこの名前を一般に広く啓蒙する段階が現状であり、まだまだ治療成績や予後の改善について一般的に知られるようになるのは先のお話であることがよくわかりました。

 いずれの病気にしましても、開業医と病院専門医の密な連携が必要であり、このような講演会の機会をこれからも多く持つことの重要性を感じました。

血液型占い!?

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 血液検査の際に、「血液型が知りたいので調べてほしいです」

と言われることがよくあります。

 医学的に血液型を調べる必要があるのは、

多量に出血して輸血が必要な場合と 手術前検査に限られます。

 ではなぜ血液型が知りたいの?と聞くと

「だって、性格占いがきになるのから!!」とのこと。

 

 ムムム、確かにA型は几帳面だとか、O型は協調性があるとか、

AB型は我が道を行くだとか よく言われますよね!

血液型ってたかだか赤血球の表面にくっついているわずかな糖鎖違いで、

人間の性格みたいなものに影響するとは考えにものがあります。

ただ、みんなが関係あると信じているとなんとなく気になるのはよくわかります。

 しかし、医療の進歩により完全にこの説は否定され(大げさかな?)ました。白血病の治療の時で、骨髄移植って聞いたことありませんか?

骨髄移植の際にドナー(提供者)となるのは、白血球型(HLA)を合わせるために、赤血球型(いわゆる血液型)は違うことが多いのです。

つまり、骨髄移植後は血液型が変わってしまうのです!!!

血液内科の先生に伺うと、血液型は変わるけれども

性格は変わることはありません!ときっぱり言われました。

 なあんだ、やっぱりか!

ノイシュバンシュタイン城

 今年も暑い夏でしたね!

夏休みを利用して、南ドイツロマンティック街道の

古城めぐりをしてきました。もちろん初ドイツでした。

 なかでも最も印象的だったのは、やはりシンデレラ城の

モデルとなったことで有名となった ノイシュバンシュタイン城

です。19世紀末に、バイエルン王ルートビッヒII世によって建立された

比較的新しいお城で、このお城の建設にこだわったルートビッヒ2世は、

国の財政をお城の建築のために著しく悪化させ、最後はクーデターで

精神病とされ幽閉、湖でなぞの死を遂げるという悲劇もついています。

 内部も訪れてみて、その豪華さや壮健さに圧倒されっぱなしでした。

「こんなもの建てちゃいかんわな!」と思ってしまうほどです。

でもそのおかげで、私たち後の世の庶民が、歴史的建造物として

大いに楽しめるといった事実は間違いありません。

 ちなみに当の王様は、このお城に5ヶ月程度しか住めなかったそうです。

*もし、訪れる気がある方は事前予約が必要です、東京ディズニーランド

以上の人気で、当日券は手に入らないようです(2019.9現在)。

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Kさんのおみやげ

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Kさんは80代半ばの 元気なおじいちゃんです。

当院にかかりつけて もう15年ほど毎月1回 

きっちり受診されるまじめなかたです。

菩提寺の檀家総代をしたり、自治会の老人会長をしたり

公共活動もされており とても「立派な人物」なのです。

 

 Kさんの楽しみは ゲームセンターで遊ぶことです。

あまりに頻繁に通われ また先ほど言った人物なので

ゲーセンのスタッフさんが お孫さんにと よく景品をくれるのだと。

 いつも いろいろな景品を手土産に来院されますが、

今回はなんとサンリオのメインキャラ勢ぞろいの人形でした。

当院の小児科にかかっているこどもたちに、

注射や採血のごほうびに 渡してほしいといわれます。

みなとっても喜んでくれるのですが、ご本人はそのことを

見てもないし 立ち会ってもいません。

 ただ、来院のときに あれよろこんでくれたかな?

とひとこと おっしゃるだけなのです。

さすがはKさん、間違いなく ひとかどの「人物」です!

1年でも長生きしていただきたいです。

栄養ドリンクの功罪

 ちょっと元気が出ないときや、疲れているけど仕事を頑張らなくてはいけないとき

みなさんはどうされますか?

 割とよく聞くのが、リ〇ビタンD・タ〇マン・チ〇ビタ・ア〇ナミンVドリンクなどの、

いわゆる栄養ドリンクをのんで頑張るというものです。

各社しのぎを削って、「タウリンがどうだ」とか、「生薬の配合がどうだ」とか、

「フルスルチアミンがどうだ」とか、いかにも効果がありそうな

うたい文句を掲げておられますが、実のところ”ほとんどすべて同じものではないか”

とうすうす感じております。

 実際のところ、栄養ドリンクの有効成分は「無水カフェイン」であり、

程度の差こそあれ、ほとんどのものに25mg~100mg含まれています。

そしてこれは、コーヒーを1-4杯飲んだのと同じ覚醒作用があり、

一時的に眠気やだるさをとる効果があるのは自明です。

それ以外の成分は、いかに効果があり高価に見えるかの工夫をしているだけ

のようにみえます。

 しかも、有効なのはせいぜい数時間が限界で、効果が切れると飲む前よりも

しんどくなるリバウンド現象が起こり、繰り返して飲むうちに、

「胃腸障害・睡眠障害・動悸・依存症など」の副作用が出てきます。

つまり、元気にしてくれているのではなく、しんどさを先送りにしているのにすぎないといえます。

 当たり前すぎておもしろくもなんともないと言われればそのとおりですが、

疲れたときは「休憩」「睡眠」をしっかりとって、

栄養ドリンク剤でごまかすのは1回限りにしておいたほうが無難だと思います。

何かに依存して生きることは悪いことなのか?

 「依存するのはダメ!、自立して生きていきなさい!」

というのは簡単ですが、本当にそうなのでしょうか?

人はみな、現実には何かに依存して生きています。

肉体的にも、精神的にも、経済的にも 誰からの影響も受けず

ひとりで生きていくことは 可能でしょうか? そしてそれが

可能だとしても それってしあわせなことでしょうか?

 

 もちろん、ギャンブル・ドラッグ・アルコールなど、

非合法的あるいは、他人に迷惑をかけたり、著しく心や体に

悪影響のある依存は 避けなければなりません。

けれども、みな少なからず何かに・誰かに依存せずには

生きていけないものではないのでしょうか?

 

 たとえば、他人からみたら 愚かに見えることであっても、

「依存する自由と権利」は認めていかなければと思います。

そうでなければ、とても息苦しい閉塞感の強い世の中になる

のではないでしょうか? 

(もうすでに日本社会は充分息苦しい・閉塞感の強い状態ですが)

 

 そういうあなたは何に依存して生きているかって?

いろいろなものや人に依存していますが、

それは内緒にしておきます。

とってもうれしいことがありました!

 今日は、とってもうれしいことがありました。

ちっちゃな頃から 当院にかかりつけていて、

一昨年 晴れて正看護師となった Mさんが、

ここで、働きたいと言ってくれました!!

 もう、19年も開業医をしているので

たくさんの子供たちが 大人になり 立派に社会人に

なられていますが、 同業者(看護師)として

勤務したいと言ってくれるのは これが始めてのことです。

 なんか 今まで頑張ってきたことが 認められたような

とても 幸せな気持ちになりました。

 あいにく、今は常勤ナースは充足しており すぐにスタッフ採用は

できませんが、少し、パート・バイトでもやってみて 将来的には

是非勤務してほしいと答えました。

 

胃がんの治療について

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胃がんの治療について勉強してきました。

 私も20年前まで消化器外科医をしていましたので、100名以上の胃がんの手術

を経験してきて、それなりに 知識と経験があると思っていました。 

 しかし、20年間の医学の進歩は著しく、

手術手技は、開腹手術からほぼ腹腔鏡手術になり

抗癌剤は、あまり期待するに値しなかったのに、

新しい薬剤の出現や組み合わせ、順番などで

治療そのものが大きく変化してきています。

 現在もっともアブラののった外科医:NTT西日本病院・文先生に

いろいろと教わり、さらに日常の診療に生かしていきたいと

思いました。

 

ノロウイルスの検査って?

 下痢がひどくなった方が、ノロウイルスでないかどうか
調べてほしいといわれました。
 会社のほうからノロウイルスなら出勤するなといわれたそうです。

 よくあることだと思いますが、感染性胃腸炎いわゆる
”おなかのかぜ”は、ノロウイルス以外にも、
アデノウイルスエンテロウイルス・アストラウイルス
ロタウイルスなど 様々なものがあり、
ノロウイルスかどうかは あまり大きな問題ではありません。
どのウイルスであっても、日常診療上の取り扱いにさほど変わりはなく
特別な場合を除いては 検査の保険適応もありません。

 ノロウイルスかどうかにこだわるのではなく、
食事制限・保温・保湿(飲水)に努め、
嘔吐物や下痢便の処理を適切におこなって、
家族や職場で感染を広げないようにすることが大切です。




 *店舗での集団食中毒が疑われる場合など、検査が必要な
場合もありますが、この場合は保健所が検査することになります。

インフルエンザA型猛威を振るう!

1/14(火)今里休日急病診療所の救急出務日勤に行ってきました。

ドクター3名体制に対して、約280名の患者さんが押し寄せ、

平均2時間半待ちで、その7割がなんと「A型インフルエンザ」でした。

予定終了時間を2時間半も延長し、スタッフも誰も 何もしゃべる元気もなく

帰途に着きました。 まさに地獄さながらの状況で、涙も出ませんでした!!


 わが家でも、長男がお正月4日に発症、次男(ナースマン)が、昨日発症しました。

ワクチンの予防効果もあまりなさそうです。

 ちょっと、2009年豚インフルエンザのときの パンデミック(大流行)を思い出す勢いです。

ウイルス変異?が少しあり、免疫抗体保持率が低いのかもしれません。

新薬「ゾフルーザ」はそれなりに有効ですが、まだまだ流行は収まりそうにありません。

みなさま!お気をつけくださいませ!!

感動で震えた本「夜と霧」人生の価値とは?

 第二次世界大戦ナチスドイツの強制収用所に入れられた、

ユダヤ精神科医の著書です。



(「夜と霧」ヴィクトールEフランクル著 みすず書房発行)

私はこの本を3回(18歳・25歳・50歳)読んで、

それぞれに全く違った印象をうけました。




 人生の価値について述べられていて、

人間が実現できる人生の価値は3つにまとめられるとのことでした。

1.創造価値;仕事や行動、創作行為 つまり

       趣味で絵を描いたり楽器を弾いたり、歌を歌ったりすること


2.体験価値;人を愛したり、自然の美しさを感じたりすること



  この2つの本質的な価値が奪われた状態のときでも、
 人生の価値は失われることはなく、

3.態度価値; 人間が運命を受け入れる態度により実現される価値。

     体や心の自由を奪われたとしても、どのような態度でいるかという

   自由は決して奪われることはなく、

 どんな状況に追いつめられても必ず最後まで実現しうる価値があります。

 強制収容所の中で、やせ衰えて動けなくなったものの中にも、

 他人にやさしく接する・自分のパンを分け与える・疲れた友人を励ます

 などの、人間にしかできない行為や態度でいる者が

 かなりたくさんいたというのです。


 あなたは、人生に何を期待して生きていますか?

もしも「あなたがあなたの人生に対して何も期待できないと思った」としても、

あなたの人生があなたに期待していることは、決して無くなることはありません。