町医者の生態をゆるくつづったブログ

開院20周年を迎えました。

 新型コロナ感染症の影響で、止まっていた学校・経済活動が動き始めた6月1日。実は喜多岡医院は20周年を迎えることとなりました。

これもひとえに地域のかかりつけとして通院していただいたたくさんの患者さまのおかげだと大変喜んでいます。

20年前、西暦2000年は平成12年で、シドニーオリンピックが開催され、イチロー選手がシアトルマリナーズと日本人野手として、

はじめてアメリカ大リーグの契約選手となった年です。20世紀最後のミレニアムイヤーでもあり、日本では介護保険制度が始まった年でもあります。

20年間当院でもいろいろな辛いこと、苦しいこと、うれしいことがたくさんありました。無事20年を迎えられたことは大変感慨深く思っております。

 ささやかではありますが、6月中に通院された患者様に記念品を差し上げたいと思います。手づくりのカードケースです。診察券や定期券、クレジットカードなどが

5枚程度入る素敵な革小物ですので、日常的にお使いいただくべく、どうぞよろしくご査収いただきますようお願いします。

 

*当院の変遷についてすこし思い起こしてみます。

 

 2000年(H12)6月1日 開院、初日の患者さんの数は午前午後あわせて22名だったと記憶しています。油谷内科小児科からの引継ぎと、勤務していたPL病院外科からの患者さんが多く来ていただきました。当時は、抗がん剤の点滴注射や肝臓動脈カテーテルを経由した動脈注射などの専門的がん治療も行っていました。

 しかし、抗がん剤治療の進歩や一般診療所での治療限界などから徐々に撤退し、それに代わって在宅医療と内視鏡治療(大腸ポリープ・早期がん治療)に傾斜していきました。

平成18年(2006)年頃までは、大腸内視鏡検査と内視鏡治療に力を入れ多くのポリープ摘除や早期大腸がん治療に力を入れていました。次第に近隣に内視鏡専門医の開業が増えてきたため、治療内視鏡はそちらに依頼することが多くなり、現在は食道・胃の上部内視鏡検査のみを行っています。

 介護保険制度もスタートしたばかりだったので、在宅訪問診療や施設介護(グループホーム)などの訪問医も行い、多いときは月に約30件の訪問診療をしていた頃もあります。これも次第に近隣に在宅専門医の開設が増えてきたため、役割分担し現在はごく数件のみに限定して継続しております。

この影響か、天王寺区より2002(H14)~2012(H22)まで、介護保険認定審査員を依頼され、特に平成17~の4年間は区審査委員長をさせていただきました。

平成16年には、組織改革として医療法人化し、スタッフの厚生年金など社会保険や雇用条件の改善を図り、近代的経営をすすめてきました。

また、平成18年からは、天王寺区医師会理事・役員として、介護保険・高齢者医療・地域医療などのお世話係をさせていただき、今年5月には副会長を拝命いたしました。

平成19年からは、大阪市より市立聖和小学校内科校医を委嘱され、現在に至るまで続けさせていただいています。定期健康診断やインフルエンザの学級閉鎖措置、学校保健委員会やアレルギー・アナフィラキシー研修での毎年の講演・実習指導なども行っています。

平成24年からは、一般企業産業医として、2か所の製造業(従業員130名・80名)の顧問産業医をさせていただいています。職場巡視を通して、危険業務の改善点の指摘や、ストレスチェックや個人面談を通して、企業社員のメンタルヘルスケアに努めています。

 このように、地域のかかりつけ医の機能だけでなく、学校保健・産業保健・医師会活動を通しての行政との連携など、さまざまな役割を果たしてまいりました。

ソニーメットライフ・マスミューチュアル(現在ニッセイ・ウェルス)生命保険の診査医もさせていただいております。

 20年はとても長かったようでいて、逆にあっという間の出来事でした。これからも30年・40年と地域に愛されるクリニックをスタッフともども創ってまいりますので、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。