町医者の生態をゆるくつづったブログ

認知症の行く末

 まず初めに、東北地方太平洋沖地震で被災された方に 心からお見舞いを申し上げます。
大阪市内でも2分以上にわたってゆっくりとした揺れを体感しました。
阪神大震災のときのような縦揺れでなくサイクルの長い横揺れだったのは 震源地が遠かったからなのですね。
それにしてもこんなに離れた大阪でもあれだけ揺れるのですから 震源が東北と聞いて驚きました。


 
 認知症のご婦人Tさん76歳がお亡くなりになりました。最後は(誤嚥性?)肺炎でした。
3-4年前からアルツハイマー病の症状がでており、認知症のお薬を飲んでいました。薬の飲み忘れも多くなり、
次第に通院間隔も延びてしまっていました。Tさんは当院開院当初からの患者さんでした。便が出にくいということで
受診され、その日のうちに直腸がんと診断しました。某大病院を紹介し、直腸切断手術を受け、人工肛門となりましたが、
全くショックを受ける様子はありません。「だって母もそうだったもの。人工肛門の袋を交換するのは私の仕事だったのよ。」
とケラケラ笑って意に介さない楽天的な方だったんです。その後の経過も良好で、2年間抗がん剤も飲んで、進行直腸がんは克服されましたが
認知症には勝てませんでした。ここ3年ほどは来院されるたびに同じ話の繰り返し。
「私の父は薬剤師やったから 絶対薬は飲み忘れはありません。子供のころから薬のことは厳しく言われてるから。」
「7人兄弟なんやけどみんな死んでしまって私と一番下の弟だけになっちゃった。弟とは13歳離れてるからずっと私が親代わりやったんよ。」
毎月この2つのはなしをずっと聞いてきました。 またおんなじ話かとうんざりした時期もありましたが、今はもう2度と聞けないと思うと
とてもさびしいです。12年前、大腸がんの外科医をやめて 開業医になってはじめて、大腸がんを見つけて紹介して、
僕が直したつもりでいたので(不遜でごめんなさい)、術後12年間生きてくださってありがとうございました。
 でもやっぱり認知症には勝てなかった。